チャップリン「街の灯」

先ほどはチャップリンはボクシング経験がないと書きましたが、彼の動きから察するに、テレビで見ていたりはしていたのでしょうか。

こんな動きをするなんて、予想できません。
漫才を見ているようでした。

このネタ、人気お笑い芸人さんがやってもおかしくないレベルのクオリティですよね。

どちらかというと盲目の女性のことが気になっていた物語ですが、このシーンを見て、やっぱりチャップリンは面白い、と思いました。

これ、実際にやってみたいですね(笑)。
私はこのボクシングのシーンだけでも、『街の灯』を観る価値はあると思いました。

酔いが覚めると我に返って彼のことなど知らないという英国紳士、しかし彼は酔うたびにチャップリンを友人として思い出し、彼を振り回します。

これ、チャップリンはチャップリンで彼の資産を利用していますが、現実にこんな相手と関わると、やってられないですよね。

つい先ほどまで友人と思っていて、しかもお金までくれた相手が、自分のことを知らないと言う。
チャップリンに同情してしまいますね。

警察が来たところでは、思わず「ああ……」と天を仰いでしまいます。

花売りは、彼から受け取った大金で手術をして、目に光を取り戻したのです^^
彼女は今も花売りを続けています。

ある日、花を買いに来た紳士に、彼はもしかして自分を助けてくれたあの人ではないかと思いを巡らします。

しかしそれはまったくの別人で、その人はチャップリンと違い、身長も高く、ハンサム。

このシーンも『街の灯』の中で重要なところだと思いました。

もちろん個人の解釈でしかないのですが、ここで描かれているのは、人は容姿によって惹かれてしまうというアイロニーではないでしょうか。

人間誰しも、白馬の王子様や美しいお姫様とのロマンスを思い描きます。
自分を助けてくれた人はとても美しい、それは女性からすれば高身長のイケメンなのではないかと。

けれども現実はそうではなく・・・。
人は理想の人を思い描くとき、容姿は間違いなく優れたものとなっているはず。

彼女に惚れたチャップリンでさえ、盲目の女性が美人だったからこそ助けようと思ったのでしょうから。

ついにチャップリンも花売りの女性に気づき、そして彼女もチャップリンが本当の支援者だったことに気づきます。

ここから、二人のラブロマンスが始まるのかもしれません。
映画では、そこのところが詳しく描かれることがなく終わります。

しかし、あえて描かなかったというのは、やはり監督であるチャップリンは、ハッピーエンドにしたくなかったのではないでしょうか。

そう考えると、作品全体が引き締まる感じがします。

この作品は、コメディーなので笑えるとか、恋愛ものとか、そういった単一の解釈を許さず、観る人によって色を変えるような映画なのではないかと思います。

時代を超えて残っている作品ですから、観る人それぞれの感想があるでしょう。

モノクロだし、若い方は特にチャップリン作品未見の人も多いのではないでしょうか??

『街の灯』は初体験だった私でも楽しめたので、ぜひおすすめします!

クラシックの流行

最近、テレビやラジオで聞かなくなってしまったなぁという曲がある。
サン・サーンスのチェロ協奏曲
オネゲルの「パシフィック2・3・1」
ダリウス・ミヨーの「屋根の上の牛」
ボロディンの交響曲第2番
ドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」
ボッケリーニの「マドリッドの夜警隊の行進」
シャミナードのフルート協奏曲

もっとも、私が目にしないだけで、演奏はされ続けられているのかもしれない。そもそも、あまりメジャーな曲ではないので、演奏頻度も少ないとは思うのだが・・・。

これに反して、平成に入ってから演奏が多く行われる曲も出てきた。
ニールセンの交響曲第3番
ラフマニノフの交響曲第2番
とかである。

又、テレビで曲の一部分だけが沢山取り上げられている
カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」
ヴェルディの「レクイエム」
なんかもそうであろう。

クラシックも時代によって、演奏されるはやりすたりはあったりする。

サッカーが流行ると、ヴェルディの歌劇「アイーダ」の大行進曲を誰もが口ずさむようになったり、荒川静香がフィギュアで金メダルを取った時には「誰も寝てはならぬ」を「ラララ」で歌ったりしていたのも流行的な現象だと思う。

では、はやりすたりのない曲って何だろう?と考えると、真っ先に頭に浮かぶ名曲がある。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。

実は、この曲、細かいヴァイオリンの技巧的な表現をフランチェスカッティ等の名手が書き換えてきたという歴史がある。

ベートーベンの第九第四楽章のように、近年の研究家によって、慣れ親しんできた部分が拍子抜けする耳慣れない形に変わってしまうのは、なんとも複雑な気がする。

これ以上、書き換えを行わないで欲しい。

なぜならば、この曲のように、本当に至極と呼ぶにふさわしい曲は滅多にないのだから。

ドラえもん「のび太の宝島」感想その2

この前の続き。

クライマックス

のび太くんが体を張ってドラえもんを救出します。
そのシーンは本当に鳥肌が立つほどでした。

お互い助け合うシーンは、映画でもアニメでもよくあるのですが「のび太の宝島」ではのび太くんが本当に自分を顧みずにドラえもんを必死に助けようとする姿、そんなのび太くんを援護するしずかやストラッシュの脱毛エステの姿も、登場人物一人一人がお互いを思い合う絆の強さを感じる方ができました。

主題歌

星野源さんの「ドラえもん」。

この歌は明るくてテンポが速い曲で、今までの子ども向けの簡単な歌が多かったドラえもんの歌と少し雰囲気が違う曲なのですが、なぜか懐かしく、優しい気持ちになります。

オープニングにこの曲と映像が流れると、冒険感やワクワク感が本当に高まって、小さい頃ドラえもんを見ていた時の気持ちに戻ってしまいます。

予告映像でも流れていた「ここにいないあなたへ」が私は特に好きで、こちらも星野源さんが歌っている曲です。

こちらは「ドラえもん」とはまた雰囲気が違います。
とても優しく、ゆったりしていて心が落ち着く歌です。

ドラえもんはとても温かみがあって心に寄り添ってくれるので、「ここにいないあなたへ」はそんなドラえもんの温かさがそのまま歌になったようでホッとします。

私がドラえもんを好きな理由

キャラクターひとりひとりがまるで本当に生きていて、自分をまるで応援してくれるかのようだから。

他の映画の、敵と戦いハラハラドキドキとしたストーリーももちろん好きなのですが、「のび太の宝島」は家族をテーマにしていることもあると思いますが全体的にとても優しくてあったかい雰囲気のある映画で、見ていると子どもに帰れる、包まれる気持ちになるところが本当に◎。

ドラえもんは大人でもすっごく面白い!
特に「のび太の宝島」は、大人の立場と子どもの立場が描かれているので、大人の目線から見るとフロックくんのお父さんの気持ちにとても共感できます。大人になってドラえもんを見ていないという人にも、ぜひ見ていただきたい作品です。

ドラえもん「のび太の宝島」感想その1

私が今まで見た中で1番好きな映画は、「のび太の宝島」です。

ドラえもんが元々とても好きで、映画も全作品を見ているのですがその中でも宝島は特に良い作品だと思っています。

映画のあらすじ

宝探しをしたいとわがままを言うのび太。
そこでドラえもん、しずか、ジャイアン、スネ夫と一緒に島へ向かったところ、本物の海賊にしずかが連れ去られ・・・。

そこへ現れたフロック。
彼と一緒にしずか海賊船を追っかけるというお話です。

【好きなところ】

キャラクターデザインが魅力的

ドラえもんの映画は毎作品、映画だけのゲストキャラクターが登場するのですが、今回登場したのは「フロック」という金髪の少年とその妹の「セーラ」。

フロックくんは少し強気な性格で、初めはジャイアンと対立してしまいます。

ですが、その強気な性格は家族が一緒にいることのできない悲しさや辛さから強がってしまっているもので、物語の終盤でお父さんと話し合うシーンでは子どもらしい素直な一面を観ることができます。

ジャイアン等と対立していた時も、嵐の中船が沈まないように一生懸命頑張るのび太くんの姿を見て心を開き、力を合わせる様子やたどり着いた島で楽しく笑う様子はとても可愛く、魅力的なキャラクターでした。

フロックくんの妹であるセーラちゃんもしっかり者で、しずかちゃんが連れ去られているところを庇って、セーラちゃんが働いているパン屋さんでしばらく匿ってくれたりと、心優しい女の子です。

ドラえもんに登場するゲストキャラクターの女の子は、か弱い存在の女の子が多いのですが、今回のセーラちゃんはとてもたくましい。

しずかちゃんと変わらない年なのに、海賊船の中で立派に働いている様子はとても気高くかっこいい女の子のキャラクターでした。

また、悪役として登場する海賊たちも、それぞれのキャラクターデザインが今までのドラえもんのデザインと少し雰囲気が違うのですが、ドラえもんの世界にとても馴染んでいて性格もなんだか憎めない、全てのキャラが本当に胸ズキュンな好みでした❤️

絶対的な「悪」がいない

「のび太の鉄人兵団」や「のび太の人魚大海戦」など、攻めてくる悪い人たちと正義とがぶつかる話が多いのですが「のび太の宝島」では、絶対的な悪と正義がないところがとても良かったです。

フロックくんとセーラちゃん、そしてのび太くんたちの子どもたちの視点と、フロックくんのお父さんの大人からの視点。

二つの視点からの考えがぶつかりあうのですが、どちらの言い分も正しく、共感できるのです。

「のび太の緑の巨人伝」も、二つの正しい考えがぶつかり合う話だったのですがそういった「完全な悪役」がいないストーリーがとても良かった!

しずかの視点が細かく描かれている

今までしずかちゃんがさらわれるストーリーの映画は何作かありましたが、基本的には助けようと奮闘するのび太くんたちの姿をメインに描かれていたので、その間のしずかちゃんの様子はあまりわからないものが多かったのです。

けれど「のび太の宝島」では、のび太くんたちとしずかちゃんの二つともからの視点を見ることができます。

「のび太の宝島」は全体的に気持ちの描き方がとても繊細で、表情一つ一つの変化や動きからみんなの気持ちがよく伝わってきます。

さらわれたしずかちゃんの不安や悲しみと、それを表に出さず明るく振る舞う姿は見ている方も辛くなりますが、その分しずかちゃんのか弱いけれど強くもある姿を今まで以上に深く知ることができました。

「七人の侍」後篇

今回は「七人の侍」後篇をお届けします。

黒沢作品でも屈指の名作「七人の侍」

当時東映では子供たち向け「笛吹童子」が人気あったのですが、目の肥えた当時のファンは、「黒沢作品でも、生きると双璧をなす名作だ」と大評判になりました。

当時この映画はハリウッド関係者には知られていませんでしたが、たまたま来日した「ユル・ブリンナー」はこの「七人の侍」を見て、「これはハリウッド以上の作品だ!」と感動してします。

彼はハリウッド帰国後、自分の企画で、脚本はすべて「七人の侍」の脚本を利用することで東宝と契約し、「荒野の七人」を映像化することにしたわけです。

この事情を知らない人たちは、「荒野の七人」が先で、「七人の侍」は後の作品である、と誤解した人は多かったです。

しかし、黒沢の映画造りに感動したコッポラ、スコセッシ、スピルバーグ等々ハリウッドの名監督たちは「黒沢ファン」になってしまいます。

スコセッシにいたっては晩年の黒沢作品に「出演させてほしい」と願い出て、黒沢映画に出演することができました。

まとめ

最後にこの映画を見たとき、それは平成元年の「七人の侍」の最終ロードショウだったのですが、幸い「生きる」と同時に見ました。

生きる、では泣かされて、その後この「七人の侍」で、迫力ある映画のすばらしさを知り、今まで見てきたテレビ映画が、アホらしくなってきてしまいました。

タイムマシンはないのですが、もしあれば、この映画のロードショーされた昭和29年にタイムスリップして、「見てみたかった」そんな気もちにさせてくれる”名作”でした。

黒沢明監督「七人の侍」あらすじと感想【前篇】

わたしは今でも、「世界のクロサワ」の代表作であるこの作品をイチオシします。

映画って、アクションあって、泣き笑いもあって、笑わせるところもあって、いろんな要素があると最高です。

黒沢明監督は、戦後GHQから「チャンバラ映画は(国威発揚もあるので)という理由で、「時代劇チャンバラ」を製作できない状況が長く続いていました。

ところがです。

昭和29年に公開されたこの作品では、GHQの許可基準が弾力的になったのを見計らって、黒沢監督は「このチャンスを逃してはならない」と精力をつくし製作にあたった作品です。

「七人の侍」、今の映画と全然ちがうところ、今でもたくさんあるんです。

  1. アクションシーンをたくさん用い、しかもスタントマンを一切利用しなかった。
  2. 百姓を助けるために、「一杯のごはん」だけで襲ってくる「野武士」退治のため、志村僑演じるリーダーが、「最低は7人必要だ」と「侍集め」を行います。当然侍はプライドが高く、なかなかこういう「ボランテイア」みたいな仕事を引き受ける侍は見つかりません。
    苦労して、やっと一人前とは言えないが、志村の人格に尊敬して、6人の侍が集められました。ここで「菊千代」という、侍か百姓かわからない人間を起用することになりました。この「菊千代」こそが、あの「三船 敏郎」が抜擢されました。
  3. 侍と百姓は、百姓は侍に助けを求めることがあっても、絶対には理解しあえず、潜在的に”対立”の図式を用意しました。
  4. 志村はこれを知っていて、いろいろ文句をいう百姓たちに武術を伝授し、「命をかけて決戦に臨め」と徹底的に感化することをやり遂げ、ここに侍と百姓の「絶対理解しあえないが、一時的に野武士退治にため」結合させることができました。
    ここで、野武士たちが百姓の住む「村」を襲ってくるシーンが連続します。
    もちろん、侍たちは「乗馬」は出来なければなりません。でも志村は、乗馬のとき落馬して、大けがするが、黒沢監督は志村に「ケガしても、この映画取り終えるまで、ガマンしろ」と酷な注文をします。
  5. 三船に対しては、とにかく「笑わせる」ことをイメージして、シーンの途中でわざと落馬させるシーンまで用意させます。
  6. 野武士との闘いで、7人中4人が命を落とします。そこで「ボタ山」みたいな「墓」を作ります。死んだ侍たちを弔う「墓の建造」のとき、砂嵐が巻き起こります。この「墓場シーン」は後で多くの日本映画で採用されることになりました。
  7. シーンの途中で、剣術を使ったシーンがたくさん出てきます。このシーン採用にあたっては、黒沢監督は、主演者に「剣術経験がない俳優」さんを起用することとしました。
    これは、既存の剣道が形式的になっていて、それではこの当時の侍たちの使っていた剣術とは違う、という黒沢監督の「信念」があったためです。
    武道の達人には、新劇俳優「宮口 精二」が起用されました。
    とうぜん宮口さんは苦労しましたが、創作の剣術は今見ても、作為性がなく、面白い出来上がりになっています。
  8. 小道具にもこだわりました。侍さんが着用した「兜」は、すべて「国宝」ものを拝借し、今までの映画になかった「迫力」を見せつけることに成功しました。
  9. 「菊千代」は、志村僑とは最初対立するが、やがて菊千代は実は百姓出身で、野武士に親を殺されたので、侍みたいなカッコをしているとわかりました、ここで黒沢監督が得意にしていた志村と三船の「親子関係」が出来上がり、志村と三船で「無言の」信頼関係ができました。
  10. アクシデントがあっても、黒沢監督は「ヤレ」と残酷な指令をします。土屋さん演じる百姓は、嫁を野武士に取られてしまうが、この「野武士急襲」シーンでは、野武士の隠れ家を放火で襲いますが、この「隠れ家」風がきつくて予想以上の煙火をします。全身やけどになりかけた土屋さん。「逃げるな」と黒沢監督から怒鳴られ、後で土屋さんは、「この腕の傷、七人の侍で実際にできたやけど跡です」と言われていました。
  11. そして最後は野武士と侍の対決シーンです。ここで野武士は壊滅状態になりますが、最後宮口さんに「鉄砲」を放ちます。これが宮口さんに命中して、最後死ぬ直前に「放り投げた」刀が野武士を殺害する。この鉄砲殺害シーンを見ていた三船は激怒し、残党となった野武士を、命がけで刀だけで殺害します。
    この「決戦シーン」の連続、すべて”スタントマン”なしで撮影されました。
    この映画、もともと黒沢監督は、アメリカ映画の「ガンマンの対決」をもじったものでしたが、アメリカハリウッドでは対決シーンに「スタントマン」を起用するのが常識でした。
    しかしこのスタントマンなしの「七人の侍」は、見た観衆からは”絶賛の声”が沸き上がりました。